なぜ、薬科大学(伝統校)は[大金もちが行くところ]と言われていたか
薬剤師になるには、戦前には、旧制薬学専門学校と称される現行の薬科大学(伝統校)に進学しなければなりませんでした。 世の中のほとんどの人が義務教育を卒業したらすぐに働いていた時代です。
旧制薬学専門学校に進学するには、一般的には義務教育を卒業し、ナンバースクール(一中または一女など、ナンバーが付いている現行の中高一貫校に相当する)を優秀な成績で卒業した人の中で、入学試験に合格しなければなりませんでした。
地方のナンバースクールは、戦後の県庁所在地に相当する、その県の中では、もっとも栄えている都市にしかありませんでした。(一部の特殊な都市を除く)
広島市がちょうど全国の中ぐらいに位置しますから、基準になります。
その広島市では、旧市内と呼ばれる政令指定都市になる前の中心部には、男子校が2校・女子校が2校ありました。各校、義務教育のクラスで、男女各々一番もしくは二番で、授業料が支払えるご家庭しか進学させませんでした。
その中でさらに優秀で授業料も支払えるご家庭のご子息・ご息女 しか旧制薬学専門学校 など受けませんし、受かりませんでした。
地方では、最終学歴がナンバースクールなら、とても優秀な人です。それ以上の高等教育を受けようというする人すらめずらしかったのです。
ましてや女子ともなると 、 ナンバースクールですら、理系の 学問を 重視する 教育など しません 。このため、個人的に 別途、指導者を雇わなければなりませんでした。
当然、 旧市内の周辺部や、近県では、ナンバースクールに相当するレベルの学校すらありません。にもかかわらず、旧制薬学専門学校 に合格できるほどの学力をつけたければ、個人で教育者を招聘するしかありません。
遠方から送迎食事付で来てもらうか、メアリーポピンズのような住み込みの家庭教師に居てもらうかとなります。当然かなりの教育費が掛かります。田舎ほど高額の教育費となりますから、大地主のお坊ちゃんとかお嬢様とかになってしまいます。
続きは、ファンクラブ内で・・・・
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